今も残る新府城の外郭

新府城は当時の記録によると天正九年二月に普請を開始し、その一応の完成をみたのは十月であり、工事期間は実質八ヶ月という突貫工事で進められたという。だが、城が未完成というわりには、昼夜を問わずの突貫工事で八ヶ月も要している。
これはいったい何を意味しているのであろうか。
私はこれは外郭をも含んだ工事期間であると考えている。
勝頼はまず外郭の工事を完成してから、本城の工事にかかった。そのため、本城は工事期間が長いにもかかわらず未完成な部分が見られるのではなかろうか。
この外郭の遺構、実は驚くことに、軍学者たちが絵図を著してから三百年を経た今でもよく残っている。
外郭は今も本城から北約一・八キロのところにあり、七里岩の台地を横断するように東西に一・五キロにわたって築かれている。
そこを実際に歩いてみると、台地を横断する大規模な土塁、空堀の跡、大量の兵を収容できる「桝形」という軍事施設の跡などが今でもはっきりと残っている。

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