新府城外郭を築いたのは誰か?

私はこの巨大な外郭を自らの足で歩いてみて、そこから城にかけた勝頼の強い思いが伝わってくる気がした。
しかし、現在、この外郭を徳川家康が築いたという議論が研究者の間でなされている。
というのは、家康の家臣松平家忠が記した『家忠日記』等に家康が北条氏との戦いに備えて天正十年八月に「新府城に本陣をおいた」とか「新城を築いた」とかの記述があるからである。
そこで考えられるのは、家康は北条氏との戦いに備えて、未完成の新府城では心もとなくて大規模な外郭を築いたというわけである。
だが、逆に、家康は勝頼の築いた強力な外郭があったために新府城を本陣としたとも考えられなくはない。
というのは、今日の遺構を見る限り、家康が未完成の新府城本城に手を加えて完成させたような痕跡は見当たらないからである。新府城を本陣とするなら、新府城の本城そのものにもっと手を加えて完成させるべきではなかったろうかと思うのだが。
江戸時代の軍学者が新府城と共にその外郭を絵図に描いたのは、彼らが新府城と外郭は一体のものであったと考えていたことを何より示していると思われるのだが。

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