軍学者の解釈

城絵図というのは、単にそこに残っている遺構をただ機械的に筆記すればすむというわけではない。
そこでは、どう城の構造を読み取るか、築城者の意図をどう解釈するかという謎解きにも等しい作業が要求される。
その意味で完成した城絵図は、彼ら軍学者の力量を示すものであり、また、一編の学術論文にも等しいものだとさえいえる。
その彼ら軍学者が出した結論、それは新府城が壮大な外郭をもった城であるということである。
言葉を変えると、彼らは、武田勝頼は新府城を築くにあたって、壮大な外郭を築き、そこで大軍を防ぐことを想定していたと解釈したのではなかろうか。
このことの意味は大きい。というのは、新府城は今日まで城は未完成で、そのため、武田勝頼はこのような城ではとても敵と戦えないと判断し城を捨てたとされてきたからである。
確かに、平成十年に行われた新府城の部分発掘では、大きな建物や立派な門の跡は検出されず、さらに日常生活用品なども少なかったことが報告され、新府城がまだ十分に完成されたものではなかったことを示す結果となっている。

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