佐和山城の痕跡

だが、そんな跡形もない佐和山城の跡からもわずかであるが、三成の佐和山城を暗示するいくつかの遺物が発見されている。
城郭研究家の中井均氏は、佐和山城からは本丸、西の丸という頂上附近から瓦が多く採取されていることから、本丸、西の丸には少なくとも瓦葺きの立派な建物があったことを示している。
実は私も佐和山に登ったおり、調査に夢中になって山頂の本丸跡の斜面を滑り落ちたことがあった。
幸い、そこは傾斜が緩かったので、何事もなかったのであるが、筆者はそのとき山の斜面に引っかかるようにしてぽつんと落ちていた一片の瓦を拾った。その瓦は平瓦の一部と思われたが、色は黒色ではなく赤茶けていた。それはこの瓦が火を受けたことを意味していた。
本丸の建物は天守閣をはじめ、落城の際、火がかけられ燃え落ちたといわれており、筆者が見つけた赤茶けた瓦はまさにそのことを事実として物語っていた。
まさにその瓦は佐和山城の悲劇を伝えていたのであった。
また、本丸の直下には、石垣の残石と思われる二段の巨石が残っているが、その周囲でも石垣の裏に詰められたと思われる栗石が多量に発見されている。
石垣というのは、強度を増すために、その裏に栗石といわれるやや小さな石を詰める。本丸直下で二段の巨石と栗石が見つかったことは本丸が高い石垣で覆われていたことを示している。
中井均氏は少なくとも本丸は十メートル程度の高い石垣で覆われていたとしている。(『近江の城』サンライズ出版)
それらのわずかな遺構は、「三成に過ぎたるものが二つある、嶋の左近と佐和山の城」という落首に詠まれた佐和山城ののほんの一端を表していた。

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