川中島合戦雑記39(武田信玄の海津城築城構想①)

海津城は千曲川河畔、現在の長野市松代町に築かれた平城である。
今でこそ、千曲川は城から七〇〇メートルほど北西を流れているが、かつては城に接するように城のすぐ北東を流れていた。
この城は広大な川中島の経営にあたる拠点、政庁として、また、越後軍に備える軍事物資の集積地として、さらには、兵が終結する兵站基地として千曲川河畔の平地を選んで築かれた。
城がわざわざ平地を選んで築かれたのは山城に比べて大きな面積が取れるという大きな利点があるからである。
一方、平地の城は山城に比べて要害性が低く、敵からは攻められやすいという欠点をも持っている。
そのため、近世になると深い堀を掘り、石垣を高く築き、高櫓を構えて敵に備えたのである。
信玄の築いた海津城は高い石垣こそなかったものの、深い堀と高い土居で囲まれた堅固な城であったことは十分想定される。
また、城の選地をみると、海津の地は東西南の三方を山に囲まれ、北を千曲川に開いただけの空間となっていることがわかる。
千曲川は軍事的には堀の役目をし、また、物資を船運を使って大量に運び込める水路として重要である。
さらには、東西南にそびえる山は敵の侵入を阻止する自然の要害ともいえる。
それに加えて、ここ海津の地には候可峠を介して北国街道及びその支道が通り、さらに地蔵峠により小県方面にもつながる交通の要所でもある。
まさに、城を築く選地としては理想的な環境にあるといえよう。

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