彦根山は信仰の山

彦根山は当時有名な霊場として知られており、山上山下には、門甲寺、彦根寺、石上寺などの有名な寺院が軒を並べて建っていた。
これらの寺院、特に彦根寺は遠く平安時代から京にまで知られた霊所で、京都から公家貴族が参拝にくるほどの有名な霊場であった。
ここに城を築くには、それらの寺院を壊すか、移転せねばならず、必要以上の手間と時間と労力がかかったこというまでもない。
また、それは、同時に、領民たちはもちろん、京の貴族をはじめたくさんの人々から長年の歴史をもつ信仰の霊場をも奪うことになり、民の対策としも決して有効ではなかったはずである。
その点、当初の予定であった磯山なら、そんな面倒なことはなく、スムーズに城が築けたはずなのに、井伊氏はわざわざ面倒な彦根山を選んでいる。また、それを後押ししたのはほかならぬ家康自身である。
果たして、そこにはどんな理由があったというのであろうか。

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