「川角太閤記」巻1を読む 秀吉、姫路に到着す

備前から馬を早められたが、途中途中で早飛脚が到来した。
その中に摂津の中川瀬兵衛、高山右近、塩川党らの人々からの注進があった。
内容は「周辺に聞こえていることだが、明智が近江の安土の城へ仕置きに向かっている。秀吉が西国を難なく逃れたのは奇跡のようである。光秀の準備が整わざる内に、弔い合戦をなさるのは尤もなことである。摂津の面々はお味方いたしますので、早くお上り下さい。先手は中川、高山、塩川に任せて下さい」とのことである。
大坂には織田信孝殿、丹羽五郎左衛門長秀殿、織田信澄殿の他、大名、小名衆四五人がおられる。
丹羽長秀によれば、「近日姫路に帰られたと聞いております。急ぎお上り下さい。拙者らも弔い合戦を心を一つにして行うつもりでおりますが、御存じのように信澄殿は明智の婿であり、内心はお味方するとは思えません。そのせいか大坂を出ようとはしません。そういう事情ですので追々様子についてはぜんお知らせします」とのことであった。

姫路へは八日の午前十時ころに着き、秀吉は直ちに風呂に入られた。
風呂に入り、あがり屋に腰掛けられ、小姓衆に仰せには「年寄りたち物頭に触れを出すが、明日打ち立つ覚悟である。天守から一番貝を吹き、食事の準備をさせよ。二番貝では、人夫以下を出せ、三番貝ではいなみ野において人数を立てさせるよう」とのことであった。
「金奉行、蔵預かり、米奉行に言いたいことがあるので召し出せと」のことだったので、秀吉の前に召し出した。
秀吉はまず金奉行に、「天守に金銀はどのくらいあるか」と尋ねると、かしこまって言うには、「銀子は七百五十貫目、金は千枚まではありませんが、八百枚ほどはあると思います」とのことであった。
「金銀は一分一厘残さず、蜂須賀彦衛門のところに持っていけ、番頭に鉄砲、弓を預け置き、物頭を彦衛門のところに呼び寄せ、知行に応じて分け与えよ」とのことだったので、ここに金銀は残りなく払われてしまうことになった。
次に蔵奉行を呼び出され、「蔵々に米はどのくらいあるか」と尋ねられ、蔵奉行たちは「八万五千石ほどございます」と答えた。
秀吉は「この城に籠城する覚悟はないので、兵糧はいらない。足軽、弓、鉄砲の者の妻子は扶持方が頼みであるとその日蔵を開き、仰せ通りに今日より大晦日までの算用に」と渡された。

タイトルとURLをコピーしました