彦根城石垣の石はどこから

彦根城の石垣の石はそのほとんどが佐和山城からのものなのであろうか。
そう、考えれば、佐和山城に石垣の石がまったくといっていいほど見当たらなかったのも一応は納得はできる。
歴史研究家の海津栄太郎氏は、彦根城で最初に完成したと伝わる「鐘の丸」の石垣、さらには天守閣の石垣には加工度の低い自然石が使われていることを指摘している(城八十号『佐和山城』)が、これらの事実も古城からの石の転用を裏付けていると考えられる。
近年の調査で、この「鐘の丸」に佐和山城からの石垣が転用されている事実が明らかになった。しかも、その裏込めには佐和山城の瓦なども使用されていたようである。
ただ、それにしても、彦根城全体から見れば、それはほんの一部に過ぎない。
今後の調査を待つしかないが、それにしても、あの彦根城の石垣の膨大な数の石が果たして長浜城と佐和山城だけで賄いきれたのかというと大きな疑問が残る。
もし、そうだとしたら佐和山城は全山が大量の石垣で覆われていた石作りの要塞であったことになる。 
しかし、城の建物に葺かれていた瓦の破片が佐和山では本丸や西の丸といった山頂部分でしか発見されていないことから、瓦をもった建物は山頂部分だけに限られ、その重量を支える石垣も山頂部分にしか築かれなかったとする見方もあり(中井均『近江の城』)、その点は不明なところが多い。

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