佐和山城の徹底的破壊

佐和山城の城跡には、近年、山頂付近で石垣を構成していたと推定される二段の石がわずかに見つかっただけで、それ以外には石垣の痕跡すら見つけるのは難しい。
また、近年実施された佐和山城の旧本丸斜面の一部発掘では、石垣が崩され、その後斜面が崩され、石垣の石は持ち去られ、後に残った裏込めの小さな石だけが無数見つかっている。
まさにその破壊ぶりは原城の比ではないことがわかる。
ただ、関ヶ原の合戦で、徳川秀忠率いる徳川本軍三万五千を翻弄し、結果的に決戦場に遅参させてしまった真田氏の信州上田城も跡形を留めないほど完全に破壊され、堀もすべて埋められ、一時、城は畑地となしていた。
現在の上田城は真田氏の後に上田に入った仙石氏が再築したもので、真田氏時代のものではない。これなどは、城跡そのものを消滅させた稀有な事例といえるかもしれない。

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