佐和山2

その彦根市の観光の目玉である彦根城は現在は市の所有財産となっているが、かつての城主は井伊氏である。
その井伊氏は、初代直政が慶長六年(一六〇一)に彦根に入ってから現代まで、四百年間もの間、その当主が代々彦根市に在住しており、最近までその井伊家の当主が彦根市の市長をつとめていた。
まさに、近年まで、井伊氏の城下町が続いていたという感じである。
井伊家といえば、初代直政は徳川四天王の一人に数えられるほどの徳川家康の信頼厚い家臣で、武功第一の家柄であった。
特に井伊家は「赤備え」といって、鎧甲を赤一色に染め、戦では常に先鋒として敵に果敢に攻め入ることを至上命令とした命知らずの軍団であった。この赤備えは、もともと武田信玄率いる甲斐武田軍団のもので、武田家滅亡後、徳川家康が武田家の遺臣を井伊家初代の直政に付け、その伝統を受け継いだものである。
また、この井伊家からは「桜田門外の変」で暗殺された幕末の大老井伊直(なお)弼(すけ)が出ている。
直弼は日本の開国を推し進めるにあたって吉田松陰、橋本左内などの著名な学者・文化人を処刑するなどして、強権をもって反対派を封じ込め、その反動から水戸浪士の手によって万延元年(一八六〇)江戸城桜田門外で暗殺されている。
近年、小説家の船橋聖一が小説「花の生涯」でこの井伊直弼を取り上げ、それがNHKの大河ドラマとして放映された関係で、井伊直弼は悲劇の人物として全国的にその名を知られるようになった。
彦根城内には今でもその井伊直弼が青年時代を過ごしたという「埋木舎(うもれぎや)」という建物がひっそりと残っているという。
この井伊家からは直弼の他に、三代直澄、十代直幸が同じく幕府の大老を勤め、二代直孝は将軍の執政を、八代直定は幕府の奏者番を勤めるなど、幕府中央の政治に大きく関わってきた、まさに徳川家重臣中の重臣の家柄であったといえる。

佐和山

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