今も残る海津城の外郭の堀跡

そこで、私は、この池が最近作られたものではないということを確かめるために、寺の近所で聞き込みを行うことにした。
 ちょうど、寺のそばに古い家屋の駄菓子屋さんがあったのでそこに入り、店番をしていたおばあちゃんに声をかけ話を聞いた。
おばあちゃんは最初は「何しにきたのか」と言いたそうな怪訝な顔をしていたが、私が「東京からここまで、城の遺構を調べにきました」というと「わざわざご苦労さんだね」と言って快くいろんな話をしてくれた。
それによると、池はおばあちゃんがここにお嫁に来たときにはすでにあり、そのはるか昔からあるのではないかということであった。
 私はおばあちゃんに礼をいうと、すぐに寺に戻り、池を様々な角度から写真に収めようとしていたが、寺の庫裏につながれている犬が「ワンワン」ほえ立てて騒ぐので、撮影の許可を得ようと庫裏の玄関に行った。
「あのー、すみません。」私が犬に負けじと大きな声を出すと、中から大きな体のいかつい顔をしたお坊さんが出てきた。お坊さんは寺の住職さんらしい。
私は「このお寺にお城の古い堀の跡が残っていると聞いてきたのですが」と寺の入り口にある池が堀の跡ではないかという話しをしたとこ ろ、住職は「確かにこの寺にはそういう言い伝えがある」と私の話に興味を示してくれた。
そして、「まあ、上がんなさい。」と私を庫裏に上げてくれ、「ここがそう伝えられている場所ですけどね」と私を庫裏の南側にある庭園に案内してくれた。
 庭園はとても手入れが行き届いており、なかなか見事なものであった。しかも、それは一定の幅で東西に長い長方形をしており、その先は先ほどの池につながっていた。
私はこのとき深い感動を覚えずにはいられなかった。というのは、庭園は造作の部分を取り除くと紛れもなく堀の跡だったからである。
「ここに、400年以上も前の海津城の外郭の堀の跡が残っているなんて…・・。わざわざここまで来て本当によかった。」私は住職に心からお礼をいった。
すると、住職は「これももっていきなさい」と言って、私にB4サイズの何かのコピーと思われる一枚の紙をもってきてくれた。
よくみるとそこには、江戸時代と思われるこの寺のかつての伽藍の配置が描いてあり、そこには寺を半周する堀跡が記されていた。
海津城の堀はかつてはこの寺の西側で直角に北に向かってカーブしていたようである。今、その堀は残ってはいないが、この寺はかつては城跡の堀に囲まれていたのであった。
 私は思わぬ収穫を得て、またまた、住職に深く感謝せざるを得なかった。私が住職にお礼を言って寺を後にしようとすると、住職は「この先の大林寺さんを訪ねてごらんなさい。あそこには、あなたが探しているお城の土居の跡が残っているから」と教えてくれた。

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