関ヶ原合戦前夜「慶長記」を読む25 小早川による松尾山城ジャック 

家康は当初は赤坂で秀忠率いる徳川本軍三万五千の兵が到着するのを待つつもりであった。
また、大垣の西軍首脳も大坂より毛利輝元が出陣するのを待って関ヶ原へ向かうというシナリオを描いていたことであろう。
しかし、両者共に思いがけない出来事が起こった。
秀忠はいまだ到着しそうになく、このままでは、家康は軍の主力を豊臣大名に頼らざるを得ない状況となってしまった。
一方の三成にとっては、毛利輝元本隊を入れる予定であった最重要の城松尾山城に小早川秀秋が留守部隊を追い出し、入ってしまったのであった。
三成は、関ヶ原合戦を想定し関ヶ原の松尾村に松尾山城を築いていた。
松尾山城は松尾村に大手に開き、関ヶ原方面に防備を集中し、規模、縄張りとも優れた築城技術で築かれた慶長の山城であった。
特に本丸虎口は枡形の櫓門で、虎口の前面には馬出曲輪が配されていた。
家康を迎え撃つ最後の切り札はこの松尾山城に毛利輝元並びに秀頼を入れることにあった。
松尾山に豊臣家の千成瓢箪の軍旗が翻れば、福島、黒田、細川らは戦いを躊躇することであろう。
三成が期待し、家康が最も恐れた一点はここにあった。
松尾山城には今日まで大垣城主伊藤盛正が兵を率いて入城者を待っていた。
しかし、その伊藤を追い出して松尾山城には小早川秀秋一万五千が入ってしまった。
城はジャックされたのであった。
松尾山城は一万五千の兵を十分に収容できるほどの大きな城であった。
小早川一万五千は敵か味方か。
松尾山城を奪取した本意はどこにあるのか。
三成としてはそれをどうしても確かめなければならなかった。

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