滝山城の迎賓館

この北条氏照という人物、実は北条家の中で外交も担当しており、他の著名な戦国大名たちと交わりをもっていた。
相当頭の切れる人物でもあったのだろう。
例えば、どんな大名たちと交流していたのかというと、ざっと上げただけでも伊達政宗、武田信玄、上杉謙信、織田信長、徳川家康などという著名な人物が浮かび上がる。もちろん中には上杉謙信のようにほんの一時しか同盟を結ばなかった人物もいるが、氏照が当時の大物たちと交流していたことは事実である。
そこでは、当然、彼らからの使者も氏照との交渉のため滝山城を訪れていたはずである。氏照は彼らの大切な使者に失礼がないように丁重にもてなしたことであろうし、また、相当の土産も持たせたことだろう。
北条氏はもともと伊勢氏といい、京都で将軍足利氏の取り次をやっていたとされている家である。
当然、中央の文化にも造詣が深く、いわゆる田舎大名ではなかった。そこでは、食器、什器、茶器に至るまで厳選され、北条家の格式にあった雅なものが使われたことであろう。
かつて、八王子城から天目茶碗や中国の青磁のかけらが見つかったことがあったが、滝山城でもそれらの高級茶碗は当然使われていたと思われる。文化水準の高さはそのまま大名の格につながるからである。
滝山城を訪れた使者たちは「北条家のもてなしはこうだった」とか「北条家で使われていたものはこうだった」とか「調度品はこうだった」とか主君に必ず報告するはずで、それを聞いた主君はそこから北条氏の勢いや置かれた状況、さらにはどんな大名と付き合っているかなどを判断するのである。
そこでは北条氏は置物一つでさえ細心の注意を払ったに違いない。
滝山城内には、そんな他家からの重要な使者を迎えたと推定される空間が一つだけ存在している。
それは現在「千畳敷」と呼ばれる大きな郭である。広さは学校の大きめの運動場くらいはあり、現在は芝生も植えられて整備され日当たりもよく、ベンチなども設けられて市民の憩いの場となっている。
城というのは、通常本丸、二の丸は城主の私的な空間とされ、重臣を除いて一般の武士は入れないようになっていた。本丸は城主の住居、二の丸は政務を執るための政庁や大奥などの女人の住居などがあった。
そのため、城内でも二の丸から先は見えないように高い塀が設けられるなど工夫がなされ、さらには警備も厳しかったはずである。
この「千畳敷」というのは、まさにその二の丸のすぐ手前にある。まさに、ここから先は侵入禁止というところであろう。
ここはまだ発掘調査もされてはいないため、そこにどんな建物があったのかは分からないが、以前、レーダーで地面を探査したところたくさんの穴が地中から発見されたそうである。
もし、その穴が建物の柱を支えた柱穴だとしたら、「千畳敷」いっぱいに大きな建物が建てられていた可能性もあろう。
また、そこには庭園か池のようなものもあったのかもしれない。
いずれにしても、「千畳敷」は北条氏が外交上重要な客を迎える迎賓館があった可能性は高い。

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