佐和山の思い出12

佐和山城はかつて城内に寺や坊が同居していた、いわば宗教的バリアによって守られた聖なる空間に築かれた城であった。
それを破壊するとなると、次の城はそれ以上の霊的な空間に築く必要があった。
聖地彦根寺の端座する彦根山はそれにふさわしい場所であったといえるであろう。
彦根山は最高の霊的空間であった。
その聖地に彦根城は築かれた。
それは佐和山以上の強力な宗教的バリアに守られた城となったのである。
彦根城は規模も聖なる空間も佐和山をはるかに凌ぐ城として築かれた。
そこにおいて、井伊氏は完全に三成を超えることが出来たのであろう。
佐和山の破城の最後の仕上げは、佐和山以上の神聖な霊地に城を築くことにあったのではないか。
佐和山山麓のドライブインのおかみさんから聞いた石垣など佐和山には存在しなかった。
その幻の石垣を探し求めて数年間、佐和山に登り続け、そこで見たものは、城の建物はおろか石垣の石一つまで撤去され、山頂の本丸まで削られ、中世の土の山城と化していた佐和山城の無残な姿であった。
なぜ、ここまで他に例を見ないほど徹底的に城を破壊しなければならなかったのか。
それは領民の旧領主石田家への思慕を断ち切るためであり、新たにこの地に入ってきた井伊家の力を見せつけるためだったのかもしれない。
石田三成は、石田家はそれほど領民の心をつかんだ領主であったのだろう。

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