鎌倉と一の谷 その1

現在、NHK大河ドラマの関係で、鎌倉に関心が集まっている。
鎌倉は当時「鎌倉城」とも呼ばれ、城と認識されていた。
もちろん、鎌倉内に城などない。
頼朝の屋敷も鎌倉幕府のあった場所も城といえるような作りではなかったろう。
それでは、なぜ、鎌倉は「鎌倉城」と呼ばれたのか。
一つには、鎌倉が絶妙な要害地形の中に営まれていた武士の都であったことがあげられよう。
絶妙な要害地形とは、鎌倉の周囲は低い山にぐるっと囲まれ、前面は海に守られているというこ地形のことをいう。
この地形を見抜いて、鎌倉を本拠地にした頼朝はさすがである。
鎌倉武士は戦国時代同様の鋭い戦略眼をもっていたことはこれ一つとっても分かる。
鎌倉時代の武士、決して侮ることなかれ!
城と言う観点からみれば、鎌倉周囲を囲む山々は天然の大土塁、海は天然の強大な堀と見ることができる。
つまり、鎌倉には都市を囲む、戦国時代の城でいうところの「総構え」が自然地形として形成されていたことになる。

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