真田家と六文銭10

白鳥神社は海野氏の本拠地海野にあり、海野氏は滋野氏の本家としてその修験信仰をそのまま継承していた。
修験者というのは一面は確かに宗教者には違いないが、険しい岩山などで厳しい修行を積んだ彼らは山野荒地を駈け巡りどんな難路をも通行できる技術を持っていた。
現代のように、携帯電話や無線、郵便制度もなく、道路が整備されていない状況では彼らの足がどんなに貴重なものであったかは計り知れない。
しかも、彼らは、関所の通行の自由を保障されており、全国津々浦々どこにでも入り込むことができ、そこから諸国のいろんな情報を集めることもできるネットワークをもっている。
そこでは単に情報を集めるだけではなく、こちらからの情報の発信源にも成りえる存在でもあった。
さらには、彼らは強靭な肉体をもち、棒術や刀術などの武術にも長けており、薬草や鉱山技術にも精通している集団であったといわれている。
そんな様々な技術をもつ一大集団でもあった彼ら修験者を味方につけることが軍事的にどれほど重要であったかはいうまでもない。

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