外国人宣教師の見た日本の戦国時代⑭

同じ月のマラッカからの書簡に、日本と貿易をしているポルトガル商人たちからもらった手紙を見せてもらったが、そのうちの一通は日本のどこかの島に住んでいる裕福な大名が書いたもので、彼はキリスト教徒になりたがっており、すでにインド総督のもとへ使節を遣わして、信仰のことについて教えてくれる教師を何人か送るよう依頼したという。
ポルトガルの商人たちはシナの北東にあたり、イタリアと同緯度の地点で日本という島を発見した。
当時、アンジロウは、キリスト教の教理を学び、パウロという名をもらって信者になった。
彼はゴアのサンタ・フェという学院でポルトガル語の読み書きを習い、聖教の教義と実践のあらましを自国語に翻訳した。
彼は、日本という島は一人の王のもとにあり、王の下に公爵と伯爵がおり、その数は全部で14人で、一人が死ぬと、長男がその領土をすべて相続すると述べていた。
日本の気候はいたって温暖だが、ハリケーンや地震が度々起きる。
果物も金属もヨーロッパと同じ、動物も鳥類も同じで、非常にたくさんいるが毒蛇はほとんどいない。
日本の気候はイタリアに似ていて、日本人は背格好もイタリア人とよく似ている。
子だくさんの貧しい女性はそれ以上貧しくならないように一番小さい子を殺すことが多いが、これは罰せられない。
そう述べていた。

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