宣教師の見た秀吉⑧

「この西国の島(九州)は他島(本州)からは離れており、それに加えて幾多の戦力と軍兵が配備されている。関白自らが下向してくるなどとは虚構であり、当地方は遠く隔たり日本の果てにあるし、関白の背後には、信用の置けない大勢の大敵が控えている。もしも彼が軍勢を遣わすのであれば、武技に熟練した薩摩の兵は、百名でもって上方からくる千名の兵と戦うに十分である」
島津は何より関白が兵を率いて九州までやってくること自体が信じられなかった。
本来の関白は天皇の補佐をする役職で、武力などもつことはなかったし、何より、秀吉自身が成り上がりの関白であることを知っていていたからである。
また、九州を席巻するまでに成長した自身の戦闘能力にも大きな自信をもっていた。
そのため、秀吉は自らの武威を見せる必要があった。
「関白の前方には金を積んだ五頭の馬と、絹と刺繍で縁取りされた衣で被われた三十頭の馬、及び立派な武具で装備された八頭の馬が右側を行き、見事に手入れされた百五十頭が前の方を進んだ。関白は己が威厳を示すために決まって乗馬したが、その他の時には道中を一種の輿」に乗ったという。
秀吉は派手な衣装に身を包み、自身も四万の兵を率いていた。

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