宣教師の見た秀吉③

大坂城について
「その城郭は、厳密に言えば、五つの天守から成っていた。すなわち、その各々は互いに区別され、離れており、内部に多くの屋敷を有するはなはだ高く豪壮な諸城である。それらのうち最も主要な城(本丸)に秀吉が住んでおり、その女たちも同所にいた。八層から成り、最上層にはそれを外から取り囲む回廊がある。また、濠、城壁、堡塁、それらの入り口、門、鉄を張った窓門があり、それらの門は高々と聳えていた。これらが秀吉自身、ならびにその武将や側近の家臣たちの住居であった」
「旧城(石山本願寺か?)の城壁や濠は、このようにすべて新たに構築された。そして宝物を貯え、武器や兵糧を収容する多数の大いなる地下室があったが、それらの古い部分は皆新たに改造され、警備のために周囲に設けられた砦は、その考案と美観においてやはり新建築に属し、とりわけ天守閣は遠くから望見できる建物で多いなる華麗さと宏壮さを誇示していた」
「この工事において、万人がもっとも不思議に思い驚嘆と畏怖の念を抱いたのは、かくも夥しい大量の石材をどこから集めて来ることができようかということであった。それらはあるいは小さく、中くらいのものもあったが、中には実に巨大なものもあって、(高山)ジュスト右近殿が陸地を一里さらに海路を三里も運ばしめた石のごときは、輸送に千人の人手を要し、大坂の全住民を驚嘆せしめたのであった。ふつうこれらの石は人々の肩にかつがれ、その上には、「働け、急げ」と下知する男たちを乗せたまま、大いなる叫び声や轟音を発しつつ運ばれた」
宣教師たちは大坂城の築城を目の当たりにした。
その工事の規模は彼らの度肝を抜き、城の優雅さ、堅固さに目を奪われた様子がよく分かる。

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