佐和山城の雄姿1

 佐和山城については、江戸時代中期の享保十二年(一七二七)に彦根藩主井伊家が家臣たちに命じて城の伝承についての聞き取り調査を行わせている。
 それによると、佐和山山頂には約八メートルほどの石垣が築かれ、その上には五層の天守閣が建てられており、曇天の日などは天守閣の屋根の最上にある鯱鉾(しゃちほこ)に雲がかかって見えないほどの高さを誇っていたという。まさにその雄姿は長く語り継がれていたのであろう。
 また、同じく彦根藩主井伊家が調査作成したと思われる佐和山城跡の古図によれば、佐和山城には山頂に本丸、そこから派生する尾根に西の丸、二の丸、三の丸、法花丸、太鼓丸、土佐殿丸などと呼ばれる郭があり、山頂の本丸の北側には塩櫓、南側には月見櫓が建っていたという。
 この当時の佐和山城の姿、景観を描いた絵図のようなものは現在までまったく伝わってはいない。
 だが、佐和山山頂に築かれていたという天守閣については、滋賀県内にある二つの寺社にそれを描いたものがあるという。

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