秀吉は風呂からあがるとお粥を召し上がられた。
堀久太郎へは、籠城の用意などせず、金奉行、蔵奉行に命じて金銀・米をすべて出させ、「今度は大博打を打ち、お目に懸けましょう」と伝えた。
久太郎が言うには、「仰せのように、いよいよ博打の時が来たようです。風も順風、帆を上げられるべきと思います」とのことであった。(中略)

いつも祈祷を仰せつけられている真言の護摩堂の僧は、「明日のご出陣は殊の外、日が悪いようです。出たら二度と帰ることのできない悪い日です」と申し上げた。
秀吉は「ならば一段と良い吉日である、なぜなら、主君の為に討ち死にする覚悟であるので、この城へは二度とは生きて帰ることなどない。又、光秀の天命が尽きれば、秀吉は大勝利を得るであろう。思いのままの国に居城を構えることになれば、この国へ帰ることはないであろう。明日は我がためには吉日である」と申された。(後略)

摂津に入れと、茨木より中川瀬兵衛が八つくらいの息女を先頭にやってきた。
これは人質とみえる。
その次に高槻よりは高山右近が同じくらいの子息を率いてやってきた。
「さてさて、目出度くご上洛なされた」と互いの目に涙が光っていた。
二人が言うには、「明智はすでに運が尽きたとみえる。欲にかられて安土に行き、金銀その他宝物を詮索し、帰ってきたということです。しかしながら、秀吉様が上洛されると聞いて、明智は早々に山城か摂津の国、当方の辺りまですぐに入るであろうと思っていると、案の定、山崎勝竜寺に入ったようであると方々から注進がありました」と。
秀吉が言うには、「人質などいりません。あなた方は今更無道者の光秀に同心することなどないからです。幼いお子様を早くお城へお返し下さい」とのことであった。
中川、高山、塩川党など三人が秀吉のもとに加勢にくると、人数は五六千にもなった。