宣教師の見た秀吉④

天正14年(1586)五月、宣教師コエリョと四名の司祭、修道士ら三十名は大坂城に秀吉を訪問した。
そのときの模様を次のように記している。
「やがて関白は自席から立ち上がり、コエリョのすぐ近くまできて座ったが、両人の間には畳半分ほどの隔たりもなかった。彼はおもむろに司祭に語りかけ、幾つか自身が行おうと決心していることを打ち明けた。同席の日本人たちは誰も皆、彼がこれほど打ち解けた態度を伴天連に示している様子に接し、関白の性分から稀有のことと驚嘆した。彼はそのとき通訳をしていたルイス・フロイスにすぐ着目し、彼と信長時代の五畿内での昔話をゆるゆる始めた。また、彼は伴天連らがひたすらにその教えを伝え弘めようと望んで、母国から遠く隔たったこの日本に滞在している心映えを賞賛し、それを何度か繰り返した」
この後、秀吉は自ら先頭に立って大坂城を見物させ、天守の最上層八階まで案内し、さらに黄金の茶室を披露した。
この歓待は二時間以上に及び「関白は天下の主となって以来、たとえどのように高位の者が来訪しようとも、彼ら伴天連に対して示したほどの好意も名誉も優遇も、その一つとして与えたことがなかった」という。
この時点では秀吉は宣教師たちに好意を示し、信長以来のキリスト教保護の路線を継承する立場を匂わせている。

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