外国人宣教師の見た日本の戦国時代52

1541年4月7日、ザビエルはイタリアから同行したミセル・パウロ、イエズス会に入ったばかりのポルトガル人修練士フランシスコ・マンシーリャスと共にインド総督の率いるナウ船サン・ティアゴ号に乗ってリスボンを発ち、モザンビークなどを経由し、翌年の5月6日、ゴアの地を踏んだ。
イエズス会は会員たちに自然科学の習得を積極的に奨励した。
例えば、コレジオの上級課程では、幾何学、代数学、音響学、天文学を学ぶことが課されている。
これの学問は、哲学課程になるとさらに細分化され、一年目では、物理学と数学の方法論の区別、二年目では、物理学と天体学、三年目ではユークリッド幾何学の専門的な修得が要求されていた。
これら、自然科学とその元をなす科学的思考法は、布教戦略に組み込まれ、実践されていった。
インドでの現地住民に対する布教は、遅々として進まなかったが、ヴァリニャーノは、インド大陸の人々を「無知」「悪習に染まった輩」「卑劣」と位置づけ、あまりにも惨めで卑劣なため、彼らが黒色人種として生まれてきても仕方なく、いかなる種類の人文諸学も自然科学も知らず、虚言を呈し、邪悪な生活をしているので、著しく良心を荒廃させ、理性の光も良心の呵責もすっかり失っていると酷評している。
それに対して、日本人はみな色が白く、洗練されており、極めて礼儀正しい。
そのため、他のあらゆる人種にまさっている。とインド大陸現地住民とは対照的に、日本人は生まれつき非常に優れた能力の持ち主であると結論づけ、日本と中国はインドとは異なることを強調している。

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