真田家と六文銭26

その真田氏に海野家嫡流の確かな血筋の幸隆が入ってきたことにより、それ以前の真田氏に関することが消えてしまった。
それを端的に表しているのが「日向畑遺跡」なのではなかろうか。
幸隆にとっての先祖とはあくまでも海野本家であり、「日向畑遺跡」の真田氏ではなかった。
その意味で、幸隆はそれ以前の真田氏とは流れの上で大きく異なっているという認識を自分自身もっていたのではなかろうか。
さらに、真田家系図のもう一つの系統である「小県郡海野白鳥系系図」や「上田良泉寺矢沢系図」によれば、海野棟綱の娘が真田氏(当時の当主は頼昌)に嫁ぎ、そこで生まれたのが幸隆であるとしている。
小豪族真田氏にとって海野氏は主家ともいうべき家であり、そこでは両氏は何代にもわたって交流があったと考えるのが自然であろう。
この説を採ると、幸隆は棟綱の孫ということになり、海野氏嫡流そのものとはいえないが、それに近い血筋であったことにはなる。
そして、この系図の特徴は海野氏の先祖である滋野氏を清和天皇の第五皇子ではなく、滋野宿禰に始まる信濃の古族としていることである。(芝辻俊六『真田昌幸』)

タイトルとURLをコピーしました