10.30歴史講演会「馬出しから何が見えるか」より①

『甲陽軍鑑』巻九で城の馬出を論じた山本勘助の言葉に「馬だしと申すものは、城とりのまなこにて御座候。子細は、城をまかれて候て、城内よりそないをいだすに、あぶなげもなく、また、せめてになり申してとりよせにくく候。」とある。
武田氏の城作りは、何より「馬出し」を重視した。
「馬出」とは、城の出入り口「虎口」の防衛のために設けられた軍事的な空間のことで、山本勘助は城取りの眼であり、その詳細は城を囲まれたときに、城からの備えを出すのに危なげなく、また、攻め手も攻めにくいものであると言っている。
また、同書には武田信玄の言葉として「当時とりたてる城ども、ほるまじき所に堀をほり、つくまじく処に土居をつき、当時とりたてる城ども、ほるまじき所に堀をほり、つくまじく処に土居をつき(中略)ながし辻の馬だし、五方・六方・八方正面など申す事、少しも存じたるものこれなく候」とあり、武田氏は様々な城を攻める中で、掘るべきところには堀を掘らずに、不必要な堀を掘り、土塁が必要なところには土塁を設けず、必要もないところに土塁を設けている城が多いことを指摘し、馬出の重要性を説いている。
まさに「馬出」は城の要であったことが分かる。

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