『竹中重門と百姓の関ケ原合戦』本日発売

『竹中重門と百姓の関ケ原合戦』(洋泉社歴史新書y)が本日発売になりました。
タイトルについては、随分と議論されたようで、結局、上記のように決まりました。
この本は一部が私の前著『敗者から見た関ケ原合戦』の続編のような形で執筆が進められ、二部が中田正光先生の関ヶ原の地元の百姓から見た関ケ原という構成になっています。
ただ、一部、二部を貫いているテーマは関ケ原地元の武将竹中重門が石田三成方から家康方に寝返ったことが合戦の勝敗を大きく左右したということです。
竹中が、寝返ったのは、領民や領地を守るためであり、それは苦渋の選択であったと思います。
関ケ原には家康を迎え撃つために用意された松尾山城や宇喜多陣の大土塁など様々な軍事施設が残されておりますが、その構築にあたったのは三成の命を受けた地元の領主竹中重門と領地の村々の百姓たちであったと思われます。
いわば、竹中は三成の仕掛けに精通していたわけで、その寝返りによって、その軍事機密が家康方に筒抜けになることとなりました。
さらには、三成は竹中の詰めの城であった垂井の菩提山城を大改修して、そこに西軍の大部隊を入れる構想であったと思われますが、それも徳川方に接収され、関ケ原の導入路である垂井の防御は根底から崩れることになりました。
しかし、徳川軍は、岐阜城を落とすと、すぐに垂井、関ケ原を放火し、竹中の領民たちを苦しめる行動に出ます。
これは、次の戦場が関ケ原になると考えた徳川軍の措置であったわけですが、竹中にとっては辛い出来事となりました。

タイトルとURLをコピーしました