外国人宣教師の見た日本の戦国時代㊾

一方、ポルトガルは1494年6月7日付でスペインと締結したトルデシ―リャス条約によって、中近東から東南アジア、日本に至るまでのポルトガル領東インドにおいて、きわめて排他的な航海領域を設定し、そこに包括される大陸や島に対する航海、征服、貿易、布教を独占的に行う権利を手中にした。
そのポルトガル領東インドにおいて、停滞の声が聞かれていたインド大陸でのキリスト教布教を再建するために、ポルトガル王ジョアン三世はローマ教皇を通して、イエズス会と接触をもち、ザビエル一行をゴアに派遣することになった。
ここにポルトガルとイエズス会が布教保護権を紐帯として名実ともに結びつくことになった。
だが、風と幸運を頼りに、遠洋航海を行わざるを得なかった大航海時代にあって、凪や飲料水の不足などと戦いつつ、ヨーロッパ以外の僻地にキリスト教を布教することはイエズス会の宣教師たちを常に死と隣り合わせの状況に陥らせたことは間違いない。

大航海時代のカトリック布教は聖三位一体会に所属するペドロ・デ・コヴィリャンら二名の修道士が、バスコダガマのインド遠征に随伴し、1498年にカリカット近郊に上陸したことに端を発する。
その後、1500年11月にフランシスコ会士8名と教区司祭が同じくカリカットの地を踏み、コチン、マナールにおいて布教を行った。
1503年にはドミニコ会士がインド布教に参加した。
1510年にゴアが占領されると、同地はポルトガルのインド支配の上で重要な役割を果たすことになった。
同時に、カトリックの布教もゴアを拠点にポルトガル国王の援助を受けながら、組織や規模の面でも一段と強化され、国家的プロジェクトとして推進されることになった。
1518年には、フランシスコ会がゴア、コチン周辺に修道院を開設し、1534年には、ポルトガル国王を布教保護者として、ゴア司教区が設置された。
これによって、インドのキリスト教世界にポルトガルの布教保護権が及ぶことになった。

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