昔、佐和山に登ったこと⑬

彦根市から五キロほど南に位置する滋賀県犬上郡甲良町にある湖東三山の名刹西明寺があるが、西明寺には江戸時代中期に石田三成の旧臣たちにより奉納されたと伝わる大絵額があり、そこに佐和山城の天守閣が描かれているという。
私は、地図を見ながら車を飛ばし、何とか西明寺にたどり着いたが、目指す大絵額は寺の奥深くしまいこんであるのか、寺内のどこを探しても見つからなかった。
ただ、大絵額は事前に写真で見ていたが、そこに描かれている天守閣はどうみても屋根や破風の形が三成時代の城の作りとマッチせず、とても桃山時代の城を描いたとは思えない。
どちらかというと江戸時代の城の作りを思わせる。
この絵は江戸時代の人が想像で描いたもののような気がする。
そこでこれ以上の追及をやめて次の目的地である多賀大社に向かった。
多賀大社は西明寺のある甲良町からさらに東に三キロほどいった多賀町にある滋賀県随一の神社で「伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)と「伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)」を祭神としている。
ここに向かったのは、古い『彦根市史』に多賀大社に伝わる「社頭古絵図」という絵図に佐和山城の天守が描かれているという記述があったからである。
この古い『彦根市史』によれば、この絵図は慶長十三年(一六〇八)の奥書があるという。
彦根城の築城は慶長八年(一六〇三)から元和八年(一六二二)までかかっていることから、この絵図にはもしかしたら、破壊前の佐和山城を描かれている可能性がある。

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