外国人宣教師の見た日本の戦国時代㊳

イエズス会士ロレンソ・メシアが1580年10月20日付「年度報告書」で「巡察使は、有馬殿が全滅してしまわないように、可能な限り救援することを決心した。(中略)巡察使は、困窮者の全員に喜捨を施し、さらに食糧を大量に購入させた。(中略)また、焼失した要塞も救うように命じ、それらの要塞に食糧と金銭を、さらに鉛と硝石も支給した。以上を実行するために、巡察使はナウ船と共に入念に準備をし、600クルザド近くが費やされた」とを述べている。
この金額は、イエズス会の年間経費の一割にあたる大きなものであった。
さらに、教団による軍事援助はこれだけにとどまらず、当時の日本の統括責任者である日本準管区長のガスパル・コエリョは有馬晴信治下の城砦に大砲を配備した。
また、イエズス会は、武器だけではなく、軍資金の供与も行っていた。
ヴァリニャーノの『日本巡察記』では、「戦争のときには、巨額の費用をかけて、キリスト教徒の領主に援助を施さねばならない場合があった。大村の領主ドン・パルトロメオや有馬の領主に対して何度も行ったように、彼らには金銭で援助する必要がある」と述べられている。

タイトルとURLをコピーしました