外国人宣教師の見た日本の戦国時代㊲

また、肥前の戦国大名龍造寺隆信も、ガスパル・コエリョと面談したおり、領内での布教と引き換えに、マカオからのナウ船の誘致を求めていたことが最近の研究で明らかになっている。
龍造寺隆信は有馬晴信、大村純忠、そしてイエズス会と敵対関係にあったとされる人物であり、イエズス会による長崎の要塞化は龍造寺隆信の侵攻から教団の拠点である長崎を守るために行われたものであった。
それほど、イエズス会士は龍造寺隆信を大きな脅威として認識していたが、この事実はイエズス会を通して軍需品を求めたのが、必ずしも友好関係にあった教会派の在地領主だけではなかったことが分かる。
大村純忠を破った龍造寺隆信は、肥前全域の支配を目指して、有馬晴信を攻めてきたが、晴信が龍造寺隆信との戦いに敗れれば、せっかく築いたキリスト教界である有馬地方が二万人の信者と共に滅ぼされてしまうことになる。
そのことに大きな危機感をもった教団、日本でのトップともいうべきヴァリニャーノは率先して有馬晴信への軍事援助を行った。
有馬晴信は兵器、さらには経済的支援をイエズス会から受け、強敵龍造寺隆信に立ち向かったのであった。

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