家康、本陣岡山に到着

9月11日、家康は清州城に到着した。
家康はここ清州城で中山道を行軍中の秀忠軍3万5千を待つ予定であった。
秀忠が率いている3万5千は徳川本隊で、そこには大久保、本多、榊原ら徳川家を代表する歴戦の武将が兵を率いていた。
家康はこれと合流し、それ以降は豊臣大名ではなく、徳川を主体とした編成で大坂方に当たる予定であったものと思われる。
しかし、岡山では、福島正則ら諸将がすでに二十日間も家康の到着を待っていた。
井伊直政、本多忠勝はこれ以上、家康の到着が遅れると、彼らの士気の低下が懸念されると判断し、家康に清州を出て、一刻も早く岡山に来るよう要請した。
まずは、家康を岡山に入れて、諸将と対面させ、そこからは要害性の高い菩提山城に本陣を移動し、そこで秀忠を待つというシナリオを立てていたのであろう。
家康さえ来れば、徳川軍はしっかりと一つにまとまり、一致団結して三成らに当たることができる。
14日、正午ころ、家康は本陣岡山に到着した。
岡山は壬申の乱で大海人皇子が本陣とし、戦に勝利したという言い伝えのある家康にとって縁起の良い場所でもあった。
家康はここに自らが入ることで、士気を鼓舞したのである。

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