外国人宣教師の見た日本の戦国時代⑯

「ゴアで王室の収益を管理している役人たちに王のために多額の収入になるはずの新しい資源が生まれるめったにない機会が日本にあることを説明し、日本の商業の中心地である大坂の港に家を作り、ヨーロッパの商品を入れた倉庫を幾つか立てる許可を得ることは容易である。日本の国内方々の鉱山から大坂へ大量に届く極めて良質の銀や金を商品と引き換えることで、ポルトガルは相当の利潤を上げることができる。ポルトガルの王の利益になるよう工場と交易所を一つ建てることができる。このような希望を持たせない限り、ゴアでポルトガルの王の利益を管理している人々は、日本へ福音を伝える者たちを連れていくというただそれだけの目的で、王の名を借りて日本へ大きな船を出す気にはならないであろう。この世の富を探し求めることが先になり、天国のことは後になってもやはりありがたいことである。ポルトガルと日本の双方に大変有利になる取引がさらに容易に行われるために、私は日本の王に、インドへ使節を送って日本では手に入らないいろいろの便利なものが向こうにはたくさんあることを見届けさせるよう説得しようと思う。使節が帰ってくれば、きっと国民はそのようなものが欲しくなって相互に貿易を始める気になるだろ」(1549年11月鹿児島からマラッカへの書簡)
ザビエルはこう述べている。

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