外国人宣教師の見た日本の戦国時代③

「ローマ教皇勅書」では、アフリカからインドまでの征服、領有、貿易の独占を認め、他国民がポルトガル国王の許可を得ずに、それらの領域に航海することを禁止する、それらの領域の原住民を奴隷にすることを認める、ポルトガル国王に新発見地への布教を奨励するなどの特権が認められていた。
「ローマ教皇勅書」によって、ポルトガル、スペイン両国には、ヨーロッパ以外の地域における航海、征服、植民地、布教、貿易を行う権利と領域が与えられた。
これによって、「ポルトガルとスペインの間で分割された地球上の支配領域」(デマルカシオン)が設定されることになった。

(デマルカシオン)により、ポルトガル国王はアフリカからインドに至る地域を領有し、独占的に航海・貿易・キリスト教の布教を進めることを認められた。
さらに、1494年7日に締結された「トルデシ―リャス条約」により、アフリカの西沖合にあるベルデ岬諸島の西方370レグアを通る経線の東側をポルトガル領、西側をスペイン領に設定し、その領域であれば、両国は自力で軍事征服と布教を行い、自国の植民地とすることが認められた。
これは地球を二分割し、その半分をポルトガルに、残りの半分をスペインに与えるというものだった。

こうして、ポルトガルとスペインは、自国のデマルカシオン内の地域を征服・植民地化して異教世界を根絶やしにしようとそのキリスト教化を進めていった。
また、これにより、日本はポルトガルのデマルカシオンに組み込まれ、「ポルトガル国民の征服に属する地」とされてしまったのである。

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