外国人宣教師の見た日本の戦国時代⑮

アンジロウは、キリスト教の教理を学び、パウロという名をもらって信者になったが、ザビエル一行は1549年11月パウロの故郷である鹿児島に到着した。
僧は言語道断の情欲の限りを尽くし、何をしても平気な顔をしているという。
その地で、僧たちが不思議に思ったのは、我々がなぜポルトガルから日本までの長い旅を敢行したのかということと、なぜ、神の話をし、キリスト教の信仰を説き、永遠の救いに至る道を示す以外に何らの目的ももっていないのかということであった。
鹿児島では、市長も主だった市民も誰もかれも心から歓迎してくれた。
皆、ポルトガルから来た司祭たちに会いに来て感嘆の声を漏らし、パウロがキリシタンになったことを不愉快に思うことなく尊敬している。
この地域の大名も、パウロが帰還したことを喜び、パウロにポルトガル人の風習と力と富について質問した。
この初めての日本については、おいしいものは何もなく、ここに住む人々は決して鳥を殺して食べたりせず、常食は野菜と米で、小麦も、魚も、リンゴも、その他の果物もここではぜいたく品となっている。
大抵の者は節約しているので健康で、老人がたくさん目に付く。

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