外国人宣教師の見た日本の戦国時代⑨

フランシスコ・ザビエルはポルトガル王ジョアン三世の命により1541年4月7日にリスボンを出発してインドに向かった。
しかし、当初、日本に来る目的はなかった。
マルコポーロの『東方見聞録』により、日本の存在は知ってはいたものの、当時日本の位置を示す地図などはなく、そこに行くための情報すら当時はなかったのである。
1547年、ザビエルはポルトガルへ帰る商人たちから、初めて日本のことを聞いたが、その中で、アンジロウという日本人に出会った。
アンジロウは、弥次郎のことだと思われるが、鹿児島出身の侍で、当時、人を殺して役人に追い詰められ、やむなく港に泊まっていたポルトガル船に従者と共に乗り込んだということであった。
そのとき、誘われるままに、弥次郎は、ポルトガル船に乗って鹿児島を出ることになったが、乗組員からキリスト教の宣教師の話を聞き、罪の意識から宣教師ザビエルに会い、懺悔を乞おうとしたのであった。
そこで、ザビエルに会うために南方へ行くことになった。
弥次郎は、航海の間に片言のポルトガル語を話せるようになっていた。たという。
弥次郎はマラッカでザビエルに会うことができたが、そこでのアンジロウの話は、ザビエルの心を大きく動かした。
当時のポルトガルでは、バスコ・ダ・ガマがアフリカ最南端の喜望峰を発見ていて以来、そこを迂回し、インドへの道を開いて以いた。
その結果、インドをはじめとする東アジアの通商を独占していた。
敬虔なクリスチャンであるポルトガル王ジョアン三世はそれに加えて、東洋の国々をキリスト教に改宗させるべく、教皇パウロ三世に優秀な宣教師の派遣を熱望、要請していた。

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