佐和山城下「聞書」の謎19

まさに、神社・仏閣の破壊は家康の上意、命令によるものであったというわけだが、『当城下近辺絵図附札写全』という聞書には、「井伊直政公、直勝公の時代に彦根を開くとき、佐和山城より彦根辺りまで数多の神社仏閣を潰し、田畑にするようとの命令があった。このとき、言われたのは由緒深い神社は残し、氏子がいない神社や旦那のいない寺院は破却するようにとの仰せだったのに、お役人には情けがなく由緒ある神社までも潰してしまった」とある。
これをみると、表面上は、氏子がいない神社や旦那のいない寺院の破却、つまり不要な神社仏閣のみの破壊であったはずが、それが拡大解釈されて、いつしかすべての神社仏閣が破壊の対象とされていたことがわかる。
「聞書」は、それは、あくまで現場の役人のせいだという。
しかし、そこには本音と建前があったとみるべきであろう。
それは、表面上は「氏子のない神社、旦那のない寺院」つまり不要な神社・仏閣の整理という名目であったが、本音は石田時代の神社・仏閣をことごとく破壊するということにその主たる目的があったと考えられるからである。
しかし、民意を考えると、為政者としては、霊力の宿るとされる「神社・仏閣をすべて壊せ」などというストレートな命令は出せない。
だから、名目を表に出して、現場の役人が自らの裁量で破壊したことにしたのではなかろうか。
政治家がよく使う「秘書が勝手にやった。自分は知らない。」という論理と同じである。

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