川中島合戦雑記12

また、仏教も日本海から信濃川をさかのぼってこの地に伝えられてきており、それを象徴するように、信濃の古い仏像は信濃の北部にその多くが伝わっている。
その信濃北部の中でもこの川中島の地が仏教を早くから受け入れてきたことは事実であろう。
それは、この地には早くから渡来人が住みつき、その文化の受け皿がすでにできていたからである。
川中島地方は古代から信濃随一の先進地であったのである。
川中島善光寺平は、善光寺の存在なしには語れない。
川中島の歴史にとって善光寺は大きな役割を担ってきたといえる。
善光寺の起源についてははっきりしたことは分かってはいない。
ただ、境内から出てきた最も古い瓦が法隆寺形式といわれるものであるころから、その創建は少なくとも奈良時代以前にはさかのぼるものと推定されている。
また、瓦から少なくとも九世紀後半には善光寺に瓦葺きの立派な建物があったことが分かっている。
奈良、平安のころの善光寺については確かな史料がないためよくは分かってはいないが、善光寺の起源を記した『善光寺縁起』はすでに平安時代末期には成立したとされており、それによって本尊の善光寺如来は日本最初の仏像であるという信仰が当時すでに普及していたという(小林計一郎著『善光寺さん』)から、そのころには神社仏閣としての体裁は整えられていたのであろう。
 善光寺の起源ついて、小林計一郎氏は同著で「おそらく北信濃に住みついた半島系帰化人が持って来た仏様が本尊となり、善光寺ができ、それが御利益のある仏様として有名になった」と述べられているが、まさに創建時の善光寺はその仏像を安置する寺として出発したことが分かる。

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