外国人宣教師の見た日本の戦国時代⑪

ザビエルは1540年3月15日にローマを離れ、1542年5月6日インドのゴアに着いたが、そこまでは過酷な船旅であったようだ。
ザビエルは、手紙の中で「全世界の富を与えられたとしても、たった一日だけでもこのような苦しい仕事をしたくない」と述べているほどである。
ザビエルはインドで、信者たちがポルタガル人長官の不正と迫害により、不当な扱いをされていることに怒り、国王ジョアン三世に諫言するなどして、そこで四年間を過ごし、1545年8月にサン・トメを出発し、9月末にマラッカに到着した。
ザビエルはモルッカ布教からマラッカに戻ったが、1547年7月に一人の日本人が彼を訪ねてきたことを知った。
前にも述べたが、それが、アンジロウであった。
ザビエルはマラッカでアンジロウという日本人に出会ったが、同時にそこでポルトガル商人から、最近発見されたという大きな島の話を聞いた。
それが日本であった。
その商人と一緒にザビエルに会いにきたのがアンジロウという日本人であったのである。
彼はマラッカでザビエルのことを聞き、わざわざ会いに来たのだという。
彼は当初モルッカ諸島にいたザビエルに会いにきたが、会えずに引返し、一度は日本に帰還しようとした。
だが、途中嵐に会い、再びマラッカに戻り、そこでザビエルと会うことができたのであった。
不思議な巡りあわせであったが、アンジロウは航海を続ける中で、ポルトガル語を幾分理解することがでるようになったようで、通訳なしにザビエルと話ができたという。

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