外国人宣教師の見た日本の戦国時代⑧

肥前の龍造寺氏が大村領や島原の有馬領に進出する勢いを見せると、大村純忠は軍資金や武器を宣教師からの供給に頼らざるを得なくなった。
もはや、自力で龍造寺氏に立ち向かうための財力も武力も大村純忠にはなかったのである。
だが、宣教師たちから資金を借りても、その莫大な額を返却することは不可能であった。
そのため、借金の担保となっていた長崎をイエズス会に渡す事態となった。
1580年(天正8年)のことであった。
ここには、龍造寺に取られるくらいなら教会に献上し、その援助を受けたほうがましだという考えがあったことであろう。
長崎が教会領になれば、ポルトガル人船による貿易の利益がそっくり教会に入るようになる。
また、大村も潤うことになる。
こうして、ポルトガル、宣教師は、事実上、長崎を領地化し、そこを要塞化し、防衛のため砦までも作いていた。
将来的には、日本における教会、さらには貿易の拠点としてマカオやゴアのような土地にする構想であったのだろう。

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