真田の里を歩く6

山家神社は、当時、修験者たちの拠点であった。
修験者、山伏といえば高下駄を履いて、杖を武器にして、木から木へ、岩から岩へと飛び移る「天狗」に代表されるように、険しい岩山などで厳しい修行を積み、強靭な肉体をもち、棒術や刀術なんどの武術に長けている集団である。
また、修験者は関所の通行の自由を保障されていることから、全国津々浦々どこにでも入り込むことができ、そこから諸国のいろんな情報を集めることも可能である。
その意味ではまさに変幻自在、忍者のような集団であったともいうことができる。
かつて、楠正成が摂津(大阪府)の赤坂城、千早城にこもって城を攻める幕府の大軍を、城の上から大岩を落としたり、熱湯やし尿をかけたりと奇計をもって撃退した話は有名であるが、実は赤坂城の尾根続きには修験者の聖地金剛山への道が通っていたことが分かっている。
そのことから、楠正成も修験者を味方にして幕府軍と戦い、勝利したのだという説が有力である。
彼らは合戦ともなれば、放火、敵の後方かく乱、情報収集何でもやった。
山家神社との関わりから、真田氏はその修験者たちの庇護者であったことが推察さsれる。
「真田の里」は修験者たちの里でもあった。

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