外国人宣教師の見た日本の戦国時代④

ポルトガル国王は、自分の名代となる行政官をインドのゴアに派遣して、東インド領国の統治に専従させた。
これがインド総督である。インド総督は東インド領国の最高行政官として、領国の民政や軍政の一切と財政の一部も担当した。
総督の中にはインド副王という名誉的な称号を与えられるものもいた。

大航海時代のさ中に誕生したイエズス会は、折からの造船技術や航海術、そして地理学の発達に便乗する形で、日本に雄飛できた。
1549年(天文18年)のザビエルの来日以降、それに続くイエズス会士たちは日本での宣教活動と、教団の勢力拡大に邁進していったが、その際に彼らが利用したのが、ポルトガル船、すなわち南蛮船であった。
彼らと接触した当時の戦国大名たちは、日夜富国強兵に明け暮れており、「神の教え」よりも、硝石や大砲などの軍需品を喉から手が出るほど欲しがっていた。
そのため、イエズス会士たちは、ポルトガル船のもたらす生糸や軍需品を、布教のための最大の武器として利用し、日本人を改宗することに励んだ。
そこでは、イエズス会士たちは、福音の宣布者という立場を逸脱して、1580年(天正8年)前後には、すでに諸種の軍事活動に手を染めていた。
来日当初のイエズス会士は、「教団の外交官」として、有力者に接近し、外交儀礼品として、マカオから調達した武器を献上していた。

タイトルとURLをコピーしました