今週は南新宿の生涯学習センターで講演があり、約二時間お話をさせていただきました。
会場を訪れると、何と参加者の皆様は8割が女性のお方でしたので、急遽、女性の皆様用にお話をアレンジしました。
喜んでいただけたかな。

さて、「川角太閤記」巻2は秀吉と柴田勝家の戦い、駆け引きについて述べられています。
前回からの続きです。

柴田修理殿が大名衆に御触れは、「明日岐阜のお城に登城されよ、御城において申し談じ、天下人を定めるべし」とのことであった。
翌日、柴田殿の指図通り、城へ詰められたところ、柴田殿が申されるには、「上様父子の事は、もうどうしようもない。ここに目出度く次の天下人を決めて、そのお方を上様と仰ごうではないか」ということであった。
大名衆ももっともだと思われたが、誰を然るべきと申される衆は一人もなかった。
それより、互いに目を見合されたと聞いている。
しばらくして、勝家が言うには、「三七様(信孝)が然るべし。その理由は、御年の頃といい、利発であられ、申し分なかろう」と申し出られたところに、筑前守殿、「勝家殿のお見立てはもっともであられるが、ここは御筋目を立てられるべきで、それには御嫡男がふさわしいと思われる。そのわけは、城之助(信忠)様の若君であられる上は、吉法師様を取り立てなさるべきと存ずる。今は御幼少であられるが、御一門中、勝家様、他の皆さま方も同心なされるにおいては、幼いことは理由にはなりませぬ。筋目を立てられれば、下々万人皆納得いたしましょう、拙者はそのように思います」とのことである。

勝家は内心は気に入らないようであったが、表には出さず、他の大名たちも無言であったが、しばらくして丹羽五郎左衛門殿が申されると、柴田や他の大名たちもそれをじっと聞いた。
丹羽殿は「筑前守が申すことは筋目正しく思われる。城之助(信忠)様に若君がなければ仕方がないが、例え、御息女であっても御一門につながる方がおられれば、考慮せねばならないところ、二歳の若君たりといえども、おられる以上そのお方を御取立てられるべきではなかろうかと存ずる」とのことであった。

柴田殿をはじめとし、その他の大名衆、筑前守が申す通り、筋目を立てるべきと各々思っているようであったが、誰も申し出られる人はなかったので、その様子を見た秀吉は、「いやいや、この座敷に私がいたのでは相談しにくかろう」と座敷を立って台子の間へ移って茶坊主たちに命じて枕を取り寄せ、休みながら茶を取り寄せ、香を焚いてゆるゆると休息なされた。
秀吉は自分がいなくなったらいろいろ意見が出ることであろうと思っていると、案の定、評定はいろんな意見が出てまとまらないようであった。