10.30講演会から 武田家滅亡②

当時、武田氏は北条氏と同盟を結んでおり、北条氏としては、武田氏は景虎を支援するであろうと考えていた。
もし、武田が北条方につけば、景勝の勝利はなくなる。景勝もそれだけは阻止しなければならなかった。
武田の不運はこの両者の思惑の深い争いに巻き込まれてしまったことだった。
武田勝頼は当初は両者の調停をはかる目的で越後へ出陣したが、景勝との交渉の中で、景勝支援に方向を転換した。
景勝はこの交渉で大量の黄金と沼田城をはじめ上杉領となっている東上野領を勝頼に譲るという条件を提示したとされている。
また、勝頼にとっても、越後や東上野が北条領になれば、北条は関東から北陸にかけて支配する巨大な勢力となり、武田にとってさらなる脅威となることは確実であった。
しかし、景勝と手を結べば、北条との同盟は再び破綻し、勝頼はせっかく領地にした生産力の高い駿河・遠江の背後を北条に脅かされることになる。
それに加えて、家康が北条と手を結べば、挟撃される恐れもある。
いずれにしても、判断に迷う事態であったが、勝頼は上杉と結び北条を敵とする選択をした。
ここに北条氏政は再び武田との同盟を破棄し、さらには家康と同盟を結び、駿河・遠江の武田領を攻めることになった。
家康としては渡りに船、ついに駿河・遠江から武田勢力を駆逐する千載一遇のチャンスが訪れたのであった。

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