「川角太閤記」巻2を読む 丹羽長秀、秀吉の危急を救う

柴田勝家は宿舎で、「御一門、我が身もまるで秀吉に礼をしているようで不快な事この上もない」とつぶやいているところへ、滝川左近、丹羽五郎左衛門、その他が夜に柴田のところへ来ていたが、滝川左近が言うには、「御一家衆、勝家を初めとして筑前守に御礼するようになろうとは思わなかった。勝家の言うように、筑前守を今日は崇め奉り、まるで我らは上様に接しているようだ」と笑って申された。
勝家はにがり顔で、「この上は筑前は何をしてくるか分からぬ、これにつき、皆で話し合おうではないか」と申された。
「明後日は、岐阜のお城において、三日目のお祝いで、本城には入らないことになっておる。お祝いが終わって人が帰るころ、又は登城の折、二の丸に於いて筑前に腹を切らせるのはどうであろう。各々お考えはどうか」と申されたところ、滝川左近は「我らもそのように思っております」とその心中を語られた。
「勝家殿の申されるように、秀吉めは後にはどのような機謀・才覚を回してくるか分かりませんが、それに踊らされてはなりませぬ。朝、お城に出仕してくる時、腹を切らせたとしても、お祝いの妨げになるようなことはないでしょう。かえって目出度いことです。早々とこのことを実行しましょう」と。
丹羽五郎左衛門殿は内心此の事を筑前に知らせなければと思ったが、表面上は「討ち果たすには出仕の時、朝に実行しましょう」と事も無げに申された。
皆々、筑前を憎まない者はないと勝家をはじめ思われていた。
皆はこれよりやや久しく勝家のところで過ごして帰り、その座は御開きになった。
丹羽五郎殿は宿へ帰られ、夜が静まったころ、小姓を一人召し連れられ、密かに筑前守殿お館へ入られたところ、番の衆が書院へ連絡に上がった。
筑前殿は「何かあったのか」とお尋ねになったので、番の衆は丹羽五郎殿にもう休まれておりますと伝えると、「すぐに起こしなさい。申し聞かすことがあるのだ」と屋敷へ入り、案内を頼まれた。
筑前、丹羽両者は密かに談合なされ、丹羽五郎殿はそのまま帰られた。
筑前殿は丹羽五郎左衛門殿がお帰りのとき、手を合わせられ、まるで礼拝するようであった。

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