四月度NHK学園「川角太閤記」巻1

NHK学園の歴史講座は四月、五月と「川角太閤記」を学ぶことになりました。
「川角太閤記」は全五巻からなり、成立年代は元和七年(1621)から元和九年(1623)と推定され、著者は豊臣大名田中吉政の旧臣川角三郎左衛門とされています。
江戸時代の初期の成立であり、後世の脚色もあまり見られないことから、秀吉とその時代を知る資料として貴重なものとなっています。
四月は、その巻1について学びました。
巻1は明智光秀謀反、いわゆる「本能寺の変」について記されており、「本能寺の変」が江戸時代初期にどのように伝えられていたかを知ることができます。
この巻の最初は、天正十年(1582)三月武田征伐を終えた信長が、四月に安土城に帰り、信長から駿河の国を拝領した徳川家康が御礼の為、安土を訪れたことから始まります。
信長は明智光秀に饗応を仰せつけたが、そのとき、折からの暑さからか光秀が用意していた生の川魚が異臭を放ち、信長はそれを聞いて怒り、これにより、光秀は面目を失い、用意された魚はすべて堀に投げ込まれたが、その異臭は安土中を漂ったと記してあります。
果たしてこのような事件が本当にあったのかは分かりませんが、そのころ、信長の重臣羽柴秀吉は安芸の毛利輝元と対峙し、備中の巣蜘蛛塚の城を攻め落とし、河屋城へ押し寄せたが、城を守る毛利方は羽柴軍の勢いに驚いて降参。
秀吉は城を受け取り、次のターゲットである高松城へ押し寄せました。
秀吉軍は高松城を幾度となく包囲しもののが、周囲は低湿地で大軍が近寄れない要害地形であり、攻め破ることが困難と思われたので、地形を見、水攻めをすることになりました。
このことを信長に報告したときから、事件は始まりました。

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