関ケ原前夜「慶長記」を読む1

昨日、25日はNHK学園歴史講座で講生の皆様と「慶長記ー関ヶ原前夜」を読むと題して「慶長記」を学びました。
「慶長記」は家康の侍医であった板坂朴斎が関ヶ原合戦前後に見聞きしたものをまとめたものとされ、家康の周辺の興味深い出来事が綴られている。
「慶長記」はいきなり秀吉の死後まもなくの混乱を記すことから始まる。
秀吉のの死後まもなく、大老・奉行、諸大名たちは秀頼への誓書を書いて誓う秀頼への忠誠を誓う。
その中心が家康で、奉行の増田長盛、前田玄以が率先して家康を立てている様子が描かれている。
次に朴斎が記したのは、石田三成が伏見の家康の屋敷を攻めてくるという噂が流れて、家康の屋敷に大きな緊張感が走る様子である。
これは噂だけで、何の動きもなかったが、ついには、この状況が関東にも伝わり、本多忠勝や井伊直政、榊原康政なども伏見に駆け付け、家康の警備にあたる。
この噂がいかに真実味をもって彼らに受け取られたかが、この混乱から伝わってくる。
これ以前、家康は豊臣大名加藤清正、福島正則らに養女を娶わせ、姻戚関係を作っていくが、これに奉行筆頭の石田三成と大老前田利家が秀吉の遺訓を踏みにじる許しがたい行為であると激しく怒る。
三成は以前から秀吉が亡くなった後は豊臣の天下をうかがうのは家康だと鋭く見抜いており、三成と家康との間には不穏な空気が流れていた。
しかも、三成の背後には彼を支持する大きな勢力、毛利、宇喜多、佐竹などが存在していた。
三成を敵に回すということは、必然的に彼らをも敵に回すことになる。
三成の家康襲撃の噂の背景にはそんな事情があったのである。

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