真田家と六文銭8

滋野一族は現在の小県郡東部町海野のあたりに本拠を置き、古代末期から中世にかけて、信濃の一大勢力であっが、やがて三家に分かれ、海野氏(東部町海野)、禰津氏(東部町)、望月氏(佐久郡)とそれぞれの居住地の名を名乗った。
そのうち、海野氏は滋野三家でも本家筋とされていた。
三家が分かれたのは平安時代後期の十一世紀ころで『続群書類従』所収の「信州滋野氏三家系図」によれば、海野氏六代の為通の子の道直が祢津氏を、同じ為通の子の広重が望月氏を称したとされている。
中世に東信濃の名門として栄えたこの海野氏・禰津氏・望月氏ら滋野一族は、信濃(長野県)小県地方から筑摩郡北部、さらには鳥居峠を越えて遠くは関東上野(群馬県)沼田方面にまで広く氏族を生み、その広がりをみせていた。
その滋野一族の本家筋である海野氏の本拠は海野郷(小県郡東部町本海野)である。
ここはかつて海野荘と呼ばれた地域で、その領主は平安時代に栄華を極めた藤原家であった。
そのことから、海野氏は平安時代、天皇家の親戚となり摂政・関白として力を伸ばしていた藤原氏に従属し、その荘官として勢力を蓄えたものと考えられている。

タイトルとURLをコピーしました