10.30講演会から 川中島海津城と長沼城

武田信玄が川中島の拠点として築いた海津城は今は残っておりませんが、その縄張りは真田氏によって海津城として濃厚に受け継がれています。以下は松代城の絵図です。

城の東と南の虎口に設けられた丸馬出は武田氏の縄張りそのもので、本丸の石垣を除けば、そのまま、武田氏の海津城と言っても良いくらいです。
ただ、この海津城、実は南に惣構えがあったことが分かっています。
現在、わずかに惣構えの堀の跡と土塁の跡が残っています。
海津城は我々の考えるよりもずっと大きい、まさに武田氏の川中島での本拠地にふさわしい規模と縄張りを有した城であったことが分かります。

さらに、善光寺を甲斐に移した信玄はついに川中島を渡り、千曲川の対岸に新たな拠点長沼城を築きました。
残念ながら、長沼城は千曲川のそばに築かれていたため、戦国時代から現代まで度々洪水に襲われ、城は消滅してしまいました。
つい最近までは土塁のほんの一部が残っていましたが、先年の洪水で消えてしまったものと思われます。
今は城絵図でしか見ることは出来ませんが、これが残っていたら、以下にみるように、武田流縄張りを駆使した名城であったに違いありません


この城の完成で、武田氏はさらに越後国境に攻め込むことが容易になりました。
上杉謙信は追い詰められていったのです。

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