関ケ原の見えない南宮山

三成が抱いた不審は実際に山に登ってみると心から納得できる。
「こんな不便できつい山を陣地に選んだ毛利の本音はいったいどこにあったのだろう。」
このとき、私にはその意図がさっぱり理解できなかった。
さらに、苦労して登った頂上でもう一つ驚いたことがある。
それは、この山の頂上からは関ヶ原の古戦場がまったく見えないという事実である。
この山のすぐ西に見える正真正銘の南宮山(毛利が陣を布いた山は正確には南宮山ではなく、その支尾根の頂上であり、その西にある標高四百十九メートルの山が本当の南宮山である)、と朝倉山の二つの峰が関ヶ原への視界を完全に遮っているからであった。
地元の方のお話では、山頂から一時間ばかり西に尾根上を歩けば、やっと関ヶ原は見えてくるという。
登るのが大変でおまけに主戦場である関ヶ原がまったく見えない。
西軍毛利秀元が陣を布いた南宮山とはまさにそんな山だった。
 

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