佐和山は聖なる山であった?

石田三成の佐和山城はそれら多くの寺院・仏閣と共存していた。
もちろん、それは石田三成自身が京都大徳寺に三玄院を建立したり、佐和山城内に瑞嶽寺を建てるなど信仰の厚い人物であったことも関係してはいようが、それだけの理由であったのだろうか。
平安・鎌倉の時代から佐和山を含む一帯の地は伊吹山をご神体とする山岳信仰が盛んであったところである。
つまり、その信仰がその地に根付いていたといえる。
佐和山さらにはその周辺に存在した多くの神社・仏閣も決してそれとは無関係ではなかろう。
佐和山を大手の方面から登ると大きな岩にいくつも出会う。
佐和山城絵図にも、エボシ岩、七ッ岩などという大岩が描かれているが、これらの山容、そして、佐和山に修験者の寺があったことから考えて、佐和山自身もかつては修験者らの修行・信仰の場となっていた可能性もあろう。そのため、寺が建てられ佐和山の谷にいくつもの坊が建てられていたのではなかろうか。
まさに、佐和山もかつては修験者の聖地ともいうべき山であったとも考えられる。
そのため、佐和山に城を築くということは、そこが単に要害の地であるというだけでなく、その山のもつ霊力というか宗教的な力で守られるという要素もあったに違いない。

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